ミヤさんの日々のネタ日記

このブログに来て頂き本当にありがとうございます! 平成9年生まれ男性→2014年3月〜血液透析をしています。 時々来てくれる相方もいます。のんびり読んで下さいね(´∀`) 日常のお話、透析のお話、色々書いています。 ぜひのんびりと一息していってくださいね。

タグ:愚痴

こんにちは。

ミヤです。

ここ最近、自分が心置きなく感じる事をとことん書いたり
イラストレーターを使っていろんなアレンジを加えてみて
映えはなくとも、それなりに自分の解釈で作った、画像を載せてみたりと
のんびり投稿しています。

さてさて、最近感じたことの一つに、『生きる』という事そのものに関して疑問を持ってしまった事があります。
というのも、先日のブログでも少し記載させていただいたと思いますが・・・


自分が今挑戦したい事はある。だけど
こんなにも苦手な事や、不得手な事も人一倍ある・・・。
こんな時に地獄を感じてしまう。



生きる時に、どっちを大切に生きていけばいいんだろう?
結論早い事を言っちゃうと答えはないし、死ぬまでわかんない気がする・・・。


そんなこんなで、今もまだ休職を余儀なくさせられていて
ずっとフラストレーションが溜まる一方です。

僕自身の中で、休職してから考えているのはこの点です。
・仕事は大好き、だけどこの人間関係の中だと、結果論として体をぶっ壊しちゃう方が先になるだろう。
透析、てんかんなどの持病>趣味や家族など>仕事になるから結果論だけ言うと仕事は透析を受けれる場所、そして他の持病をまずは優先してみてもらえるようにしないと何ともならない事。
そして、産業医と揉めない事が課題かも?(今回も新規で来た人とむちゃくちゃ喧嘩しかけてるので。)
・何より社内の人間関係。
自分の持病を少しでも理解してくれる様な場所を見つけないと何ともならない事。
そして、身体を資本に無茶せず働ける事。そして、そっちに見合った労働対価を払ってくれる事。
自分を見捨てずにいてくれる将来の伴侶が本当に見つかるのかという不安。

そんなものだけで本当に心が苦しめられてしまいます。
自分がこれからどう進んでいきたいか?そして自分がどうやって生きていきたいか。

本当にこんな身体じゃなかったらと考えた時期もたくさんありました。
正直、透析、てんかんなどなかったらと考えると、やはり
世界中を回って自分より苦しむ子供達に教育というアプローチ、音楽というアプローチで
恩返しをしていきたいなと思いながら生きてきました。
しかしながら、生まれつきに持ってしまったさまざまな持病により、生きにくさ
そしてさまざまな自殺願望と共にここまでずるずると生き延びてきてしまいました。
自分の人生設計を思い浮かべるが理想が遠すぎる図
今を生きる上で、理想と現実が程遠く
そして、人間関係との付き合いも疲れ切ってしまったので
全てリセットして、新しく物事を始めようかなと思っています。

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正直、今の生き方は僕自身には合っていないと思っていて
人に示されたがままのレールをそのまま突っ走るのは大嫌いです。

そして何よりも自分らしく自分を表現できないこの日本という世界は、おかしいとずっと思っています。
幸せのかけらもなく、ただ単に働くか疲れ果てて寝るだけの毎日。
そんな生活をするぐらいなら、一回死んだ勢いで。人生をリセットする勢いで
もう一度、自分を変えてみようかなと思っています。

実際に今考えている事としてはつ。
一つ目は、もう自分の人生を賭けてこのブログ、そしてノートで日々の思い出を描き貫く。
それによってその頃の自分の日々の波や、透析というこの苦しさをもっと世に伝える事もできるのではないかなと思っています。

二つ目は、それを収益化する為に、とにかく人間関係を断ち切れる限界まで断ち切って、自分の人生にブログというものに専念する。
それをすることで、この子に時間をかけて取り組めて、さらに、どうやったら、初めて見る方にも、わかりにくいという初見さんにもみてもらえるかをいろんな立ち位置から構想を練れるのかなと考えつつ、毎日ない頭を振り続けています。
三つ目、これは極論になっちゃいますが、とにかく物価が安い国に一時的にでも移住する。
それをしながら生計を自力で立てて、そこから発信する生活を送れるぐらいになったら戻りたいなという野望もあります。

今は完全に一つ目が主体ですが、体調や、この先の持病の治り方をみながら後半戦のフレーズに移行していこうかと検討中です。
正直、人間関係のさまざまなトラウマがあった以上「一般社会で生きる人間と共に生きる」という私自身にとっては、超絶大ぞれた頃は難しく感じますし、さらに言えば、持病をどこへ行っても文句にしか変えてくれない様な上司がいる環境は正直多くあります。
自分自身でも変える努力はしたものの、こういった病気の多くは、見た目だけではわかりにくさはもちろんの事ですが、どの様に説明をしてもわかってもらえない、当人の辛さが人生の中で何度も待ち構えているわけです。
本人の心構えにはなってしまうと言えばそれでおしまいなのかもしれません。
ですが、それは他人だから言える事。
実際になってみないと分からない、症例をもつ人それぞれの苦しさは、十人十色で全く違います。
そのためAさんと、Bさんとでは、同じ病気を持っていても、その苦しさは共有しあえても、苦しさやキツさは当人にならないと永遠にわからないものがあります。

しかし、社会一般に生きる人は、「この病気はこの事例だねw」なんて想像で決めて、それをさらにルールかしてきます。
それがもう耐えきれません。

そんな人間がのさばる限り、日本は続かないでしょう。

いつになったら、持病を持つ人間にとっても優しき世界が来るのでしょうか。
そんな日はまだまだ遠い気がしてなりません。

まだまだ耐え忍ぶほかないのかなぁ?( ;  ; ) 

こんばんは。 holmesです。

今回は少し真面目回。
僕が働くにあたって、障害者枠の重要性?それに働く意義?
そんなお話ができたらなと思います。

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そもそも僕がこんな違和感を持ち始めたのは、働き出してすぐの頃。
むしろ、この社会に違和感を持ったのは小学生からでした。

(ToT).。oO(何でこの世の中は、何でもかんでも比べたがるんだろう?生きにくいんだが。)

そう思った小学生の頃の僕は自分を見つめ直してみたり生きるという事について
少し考えてみたり
・・・

気になる事にとことん突っかかってみました。
しかしながら、この世の不条理とは中々変わらないもの。
思っていた以上に生きにくい世の中であり、心身的にも精神的にも余裕のない人間にとっては生きづらい世の中である事。
一つ枠外を作るだけで、何でもかんでも批判したがる風潮。
それが僕にとっては嫌でしかありませんでした。

中学校はそんな自分に色眼鏡をかけずに接してくださるネイティブの先生が多い学校を選びましたが
これは半分正解で半分間違いだったなと今となっては思います。
というのも、やはり、当時は中学生。
思春期も真っ只中で、そんな人間の中に、異質物がいたら、恰好の的になってしまう事も。
僕は、笑いか静けさで何とか持ち堪えましたが、中にはそれが嫌になって自殺をしてしまう子供たちもいます。
正直、そんな比べられる世界にはうんざりとしか言いようがなかったです。
僕自身が、こんなぼーっとした性格だから運が良かったのだと今となっては本気で思っています。
正直心無い言葉は、何度も何度もかけられて、泣いた事は数え切れません。

やはり、身体的な事はNG。
僕自身は、持病で色んな事を手術や治療をしている為、健常者よりできる事ははっきり言って少ないです。
重いものを持ったり、小児麻痺の影響だとは思いますが、記憶力が悪かったり、言語力も乏しかったり・・・。
正直、社会的に向いてる部分は少ないと思っています。
ですが、こうしてパソコンに向かいながら、一人でコツコツと何かを書いたり、何かの作品を仕上げるという事に、満足感や、幸せ感を感じて今を生きています。
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しかしながら、この社会は何事も比べたがるのでしょうか?
人には得意不得意があるように、私たちにもできる事、できない事がそれぞれあります。
ですが、私にとっては、その比較をされるという事がもう生きにくい世の中=生きたくない世の中とほぼ同義です。
そして今回の大事な主題。健常者と障がい者をなぜ区別するの?
障害者雇用で感じる違和感

これは私自身が、現場で働く中で感じる多くの矛盾点。
何で健康な人は働けて、そうでない人は境があるの?

何で働きたくても働けない人に対して不遇な扱いをするの・・・?

今の社会に対して、そんなクソみたいな不満ばかり募ります。
僕自身も透析をしながら、そして癲癇を持ちながら働いていますが
様々な会社に対して、すごく不信感を持っています。

というのも、上で示している青矢印部分。
つまりは黄色の面と赤面の2つ。
この部分がごちゃ混ぜになり過ぎて、どんどん境界線がなくなってしまっている状態だという事を痛感しています。
私の場合ですが、普通に人と話すのは好き。
ですが、組織(いわばグループ)の中に所属した途端
自分を押し潰してしまう。(要は無個性の塊になってしまうという表現が正しいです。)
その為、自分を潰してまで、好きな仕事をする必要がどんどんなくなってしまい
最終的にやる気もクソもなくなってしまう状態に。
気がついたら、自分の本当にやりたい事がわからなくなってしまっている状態に。


その為、自分の友人、家族以外と本音で話せたことはありません。
なので、会社って何の為に存在してるんだろう?
それに、人間社会ってなんであるんだろう?
そんな事を仕事の合間もよく考えています。

生きる事に必要な事を考えてみると
娯楽・食事・生命活動

たったそれだけです。

それ以外の為に、なぜ疲れなくちゃいけないのか?
こんな便利な世の中になったのに何でわざわざ労働を科されるのか・・・?
人間嫌いな自分にとって正直意味がわかりません。 

生き方を考える、まさに分岐点に立とうとしています。
 

こんばんは。 ミヤです。

この記事を書いている数日前、久しぶりに通勤途中で発作を起こしてしまいました💦
いやぁ・・・大変だった(T . T)
丁度、家族が同じ時間帯の出勤時間だったので、遭遇してくれて助かりましたが
人がいなかったらと思うと、恐怖しか感じない・・・(T . T) 

てんかん

こんな感じだったのかなぁと思いますが
実際に意識は消えていたし、フワフワする感覚や、めまいなどもずっと残りっぱなしでした。
とりあえず乗れる電車には間に合ったので乗れたものの、一日中身体が
動かないor思うように動かない
という感じで、その日は早退を命じられてしまい、早退きをし
家でゆっくり休んでいました。


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やはり、この事や、これまでの持病経験から感じるのは
身体のあちこちに、ハンディキャップがあると
人以上に不利になってしまう。
特に組織という場所で働くのであればなおさら。
結果を出すことが大前提になってしまうから。

正直、このことが最近辛くなっています。
仕事は好きだけど、結果を出すという行為がもうどんどん嫌になっています。
その為なのか、仕事に価値を見出せない。
好きなことに一直線になってしまう。

こんな現象に陥っています。

本当にどうすればいいものやら・・・。


誰にも話せないこんな悩みですが(T . T)

今回はガッツリ愚痴を晒しています。
親にも話せず、1人でずっと抱え込んでいます
話したほうがいいかなぁ・・・😭

 

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