こんにちは。
ミヤです。
ここ最近、自分が心置きなく感じる事をとことん書いたり
イラストレーターを使っていろんなアレンジを加えてみて
映えはなくとも、それなりに自分の解釈で作った、画像を載せてみたりと
のんびり投稿しています。
さてさて、最近感じたことの一つに、『生きる』という事そのものに関して疑問を持ってしまった事があります。
というのも、先日のブログでも少し記載させていただいたと思いますが・・・
自分が今挑戦したい事はある。だけど
こんなにも苦手な事や、不得手な事も人一倍ある・・・。
こんな時に地獄を感じてしまう。
生きる時に、どっちを大切に生きていけばいいんだろう?
結論早い事を言っちゃうと答えはないし、死ぬまでわかんない気がする・・・。
そんなこんなで、今もまだ休職を余儀なくさせられていて
ずっとフラストレーションが溜まる一方です。
僕自身の中で、休職してから考えているのはこの点です。
・仕事は大好き、だけどこの人間関係の中だと、結果論として体をぶっ壊しちゃう方が先になるだろう。
・透析、てんかんなどの持病>趣味や家族など>仕事になるから結果論だけ言うと仕事は透析を受けれる場所、そして他の持病をまずは優先してみてもらえるようにしないと何ともならない事。
そして、産業医と揉めない事が課題かも?(今回も新規で来た人とむちゃくちゃ喧嘩しかけてるので。)
・何より社内の人間関係。
自分の持病を少しでも理解してくれる様な場所を見つけないと何ともならない事。
そして、身体を資本に無茶せず働ける事。そして、そっちに見合った労働対価を払ってくれる事。
自分を見捨てずにいてくれる将来の伴侶が本当に見つかるのかという不安。
そんなものだけで本当に心が苦しめられてしまいます。
自分がこれからどう進んでいきたいか?そして自分がどうやって生きていきたいか。
本当にこんな身体じゃなかったらと考えた時期もたくさんありました。
正直、透析、てんかんなどなかったらと考えると、やはり
世界中を回って自分より苦しむ子供達に教育というアプローチ、音楽というアプローチで
恩返しをしていきたいなと思いながら生きてきました。
しかしながら、生まれつきに持ってしまったさまざまな持病により、生きにくさ
そしてさまざまな自殺願望と共にここまでずるずると生き延びてきてしまいました。

今を生きる上で、理想と現実が程遠く
そして、人間関係との付き合いも疲れ切ってしまったので
全てリセットして、新しく物事を始めようかなと思っています。
-♪-~-♫-~-♬---♩-~-♪-~-♫----♬---
正直、今の生き方は僕自身には合っていないと思っていて
人に示されたがままのレールをそのまま突っ走るのは大嫌いです。
そして何よりも自分らしく自分を表現できないこの日本という世界は、おかしいとずっと思っています。
幸せのかけらもなく、ただ単に働くか疲れ果てて寝るだけの毎日。
そんな生活をするぐらいなら、一回死んだ勢いで。人生をリセットする勢いで
もう一度、自分を変えてみようかなと思っています。
実際に今考えている事としてはつ。
一つ目は、もう自分の人生を賭けてこのブログ、そしてノートで日々の思い出を描き貫く。
それによってその頃の自分の日々の波や、透析というこの苦しさをもっと世に伝える事もできるのではないかなと思っています。
二つ目は、それを収益化する為に、とにかく人間関係を断ち切れる限界まで断ち切って、自分の人生にブログというものに専念する。
それをすることで、この子に時間をかけて取り組めて、さらに、どうやったら、初めて見る方にも、わかりにくいという初見さんにもみてもらえるかをいろんな立ち位置から構想を練れるのかなと考えつつ、毎日ない頭を振り続けています。
三つ目、これは極論になっちゃいますが、とにかく物価が安い国に一時的にでも移住する。
それをしながら生計を自力で立てて、そこから発信する生活を送れるぐらいになったら戻りたいなという野望もあります。
今は完全に一つ目が主体ですが、体調や、この先の持病の治り方をみながら後半戦のフレーズに移行していこうかと検討中です。
正直、人間関係のさまざまなトラウマがあった以上「一般社会で生きる人間と共に生きる」という私自身にとっては、超絶大ぞれた頃は難しく感じますし、さらに言えば、持病をどこへ行っても文句にしか変えてくれない様な上司がいる環境は正直多くあります。
自分自身でも変える努力はしたものの、こういった病気の多くは、見た目だけではわかりにくさはもちろんの事ですが、どの様に説明をしてもわかってもらえない、当人の辛さが人生の中で何度も待ち構えているわけです。
本人の心構えにはなってしまうと言えばそれでおしまいなのかもしれません。
ですが、それは他人だから言える事。
実際になってみないと分からない、症例をもつ人それぞれの苦しさは、十人十色で全く違います。
そのためAさんと、Bさんとでは、同じ病気を持っていても、その苦しさは共有しあえても、苦しさやキツさは当人にならないと永遠にわからないものがあります。
しかし、社会一般に生きる人は、「この病気はこの事例だねw」なんて想像で決めて、それをさらにルールかしてきます。
それがもう耐えきれません。
そんな人間がのさばる限り、日本は続かないでしょう。
いつになったら、持病を持つ人間にとっても優しき世界が来るのでしょうか。
そんな日はまだまだ遠い気がしてなりません。
まだまだ耐え忍ぶほかないのかなぁ?( ; ; )
ミヤです。
ここ最近、自分が心置きなく感じる事をとことん書いたり
イラストレーターを使っていろんなアレンジを加えてみて
映えはなくとも、それなりに自分の解釈で作った、画像を載せてみたりと
のんびり投稿しています。
さてさて、最近感じたことの一つに、『生きる』という事そのものに関して疑問を持ってしまった事があります。
というのも、先日のブログでも少し記載させていただいたと思いますが・・・
自分が今挑戦したい事はある。だけど
こんなにも苦手な事や、不得手な事も人一倍ある・・・。
こんな時に地獄を感じてしまう。
生きる時に、どっちを大切に生きていけばいいんだろう?
結論早い事を言っちゃうと答えはないし、死ぬまでわかんない気がする・・・。
そんなこんなで、今もまだ休職を余儀なくさせられていて
ずっとフラストレーションが溜まる一方です。
僕自身の中で、休職してから考えているのはこの点です。
・仕事は大好き、だけどこの人間関係の中だと、結果論として体をぶっ壊しちゃう方が先になるだろう。
・透析、てんかんなどの持病>趣味や家族など>仕事になるから結果論だけ言うと仕事は透析を受けれる場所、そして他の持病をまずは優先してみてもらえるようにしないと何ともならない事。
そして、産業医と揉めない事が課題かも?(今回も新規で来た人とむちゃくちゃ喧嘩しかけてるので。)
・何より社内の人間関係。
自分の持病を少しでも理解してくれる様な場所を見つけないと何ともならない事。
そして、身体を資本に無茶せず働ける事。そして、そっちに見合った労働対価を払ってくれる事。
自分を見捨てずにいてくれる将来の伴侶が本当に見つかるのかという不安。
そんなものだけで本当に心が苦しめられてしまいます。
自分がこれからどう進んでいきたいか?そして自分がどうやって生きていきたいか。
本当にこんな身体じゃなかったらと考えた時期もたくさんありました。
正直、透析、てんかんなどなかったらと考えると、やはり
世界中を回って自分より苦しむ子供達に教育というアプローチ、音楽というアプローチで
恩返しをしていきたいなと思いながら生きてきました。
しかしながら、生まれつきに持ってしまったさまざまな持病により、生きにくさ
そしてさまざまな自殺願望と共にここまでずるずると生き延びてきてしまいました。

今を生きる上で、理想と現実が程遠く
そして、人間関係との付き合いも疲れ切ってしまったので
全てリセットして、新しく物事を始めようかなと思っています。
-♪-~-♫-~-♬---♩-~-♪-~-♫----♬---
正直、今の生き方は僕自身には合っていないと思っていて
人に示されたがままのレールをそのまま突っ走るのは大嫌いです。
そして何よりも自分らしく自分を表現できないこの日本という世界は、おかしいとずっと思っています。
幸せのかけらもなく、ただ単に働くか疲れ果てて寝るだけの毎日。
そんな生活をするぐらいなら、一回死んだ勢いで。人生をリセットする勢いで
もう一度、自分を変えてみようかなと思っています。
実際に今考えている事としてはつ。
一つ目は、もう自分の人生を賭けてこのブログ、そしてノートで日々の思い出を描き貫く。
それによってその頃の自分の日々の波や、透析というこの苦しさをもっと世に伝える事もできるのではないかなと思っています。
二つ目は、それを収益化する為に、とにかく人間関係を断ち切れる限界まで断ち切って、自分の人生にブログというものに専念する。
それをすることで、この子に時間をかけて取り組めて、さらに、どうやったら、初めて見る方にも、わかりにくいという初見さんにもみてもらえるかをいろんな立ち位置から構想を練れるのかなと考えつつ、毎日ない頭を振り続けています。
三つ目、これは極論になっちゃいますが、とにかく物価が安い国に一時的にでも移住する。
それをしながら生計を自力で立てて、そこから発信する生活を送れるぐらいになったら戻りたいなという野望もあります。
今は完全に一つ目が主体ですが、体調や、この先の持病の治り方をみながら後半戦のフレーズに移行していこうかと検討中です。
正直、人間関係のさまざまなトラウマがあった以上「一般社会で生きる人間と共に生きる」という私自身にとっては、超絶大ぞれた頃は難しく感じますし、さらに言えば、持病をどこへ行っても文句にしか変えてくれない様な上司がいる環境は正直多くあります。
自分自身でも変える努力はしたものの、こういった病気の多くは、見た目だけではわかりにくさはもちろんの事ですが、どの様に説明をしてもわかってもらえない、当人の辛さが人生の中で何度も待ち構えているわけです。
本人の心構えにはなってしまうと言えばそれでおしまいなのかもしれません。
ですが、それは他人だから言える事。
実際になってみないと分からない、症例をもつ人それぞれの苦しさは、十人十色で全く違います。
そのためAさんと、Bさんとでは、同じ病気を持っていても、その苦しさは共有しあえても、苦しさやキツさは当人にならないと永遠にわからないものがあります。
しかし、社会一般に生きる人は、「この病気はこの事例だねw」なんて想像で決めて、それをさらにルールかしてきます。
それがもう耐えきれません。
そんな人間がのさばる限り、日本は続かないでしょう。
いつになったら、持病を持つ人間にとっても優しき世界が来るのでしょうか。
そんな日はまだまだ遠い気がしてなりません。
まだまだ耐え忍ぶほかないのかなぁ?( ; ; )